伊良部氏自殺に思う 本当のひとりは辛い
伊良部氏の自殺報道はとてもショッキングだった。全くもって原因も判らないが、ひとりではいけない人っているのだと思う。
昔話だがビートたけしのラジオ番組で「馬場がまだ強かった頃」という話があった。このフレーズは遠い昔を表しているのだという。伊良部と清原の対決シーンを観ると何故だか思い出す。プロ野球がテレビの花形だった頃、しかしパ・リーグの彼を頻繁に目にするのは、スポーツニュースだけだった。
個性というものは、時に本人を無視して作られる。伊良部氏の真の個性など何も知らないのに、イメージ付けられる事も少なくなかった。しかし、豪速球を投げる投手という思い出だけが私にはある。それ以上でも未満でもなく、メディアから知る彼の印象はこれで充分だった。
人には触れられたくない事ってあると思う。個人的な経験では、それを抱えることは大変なプレッシャーになる。例え解決しなくても、誰かに話すことで幾分気が楽になる。話すまでの緊張感はとても大きな壁だ。この壁を打ち砕けるかどうかで、僅かばかりの己の成長に繋がる。
仕事を辞めるという友人に遭遇することがある。特に何か目標があるとかという話ではなく、仕事がツマラナイとか給料が安いとか、まま多くの人が抱える悩みだろう。若い頃そんな相談を同期に受けたことがある。辞めないほうがいいよといった私の方が、辞めてしまったのだが(笑)。
どう考えても、会社務めをした方がいい人っている。給料もそうだが休日の充実を願ったり、与えられる仕事はこなす人。満足できる条件の仕事など殆ど無い。でも、そういう人に限って会社を辞めたがる。辞めないほうがと説得した友人は、結婚して家族もできそれなりのものを手に入れた。
何か少し的外れな事を書いたかも知れない。その仕事を辞めてはいけない人がいると思ったからだ。そしてひとりではいけない人もいると思うからだ。ひとりでいることは思いのほか大変であり、年を重ねるごとにひとりは染み付いてくる。
ひとりからの脱却。
これはこのサイトのテーマのひとつなのだが、ひとりであるということは、最終的に誰かの世話になるということを意味している。それが親類か公的機関の人かは判らない。何せひとりで頑張っていると思っても、多くを誰かに頼らなければならない現実。
ひとりからの脱却の答えが、結婚にだけあるとは思っていない。ひとりがいいと思う人もいる。でも最期には誰かの世話になる以上、ひとりであることの意味を考えることは必修だ。私の父親も年を重ね、最近ボケが始まった。昔気質の母親だからこそ面倒をみているが、父親がひとりだったらどうだろう?
そんな事を考えることもある。何もかも母親任せの父なのだが、彼がひとりだったら多分目も当てられない。それでも生きていける人なのは、母により教授されてるありがたい事。夫婦のスタイルも、結婚の意義も時代と共に年を取る。多分そんな男は嫌だという人もいれば、それでもいい人もいる。
ひとりであることを悩むなら、その先を考えよう。原因が判っているのに、その原因をどうにかしよう!とすることが少なくなったように思う。少なくともそう動くことで、諦めるということは少なくなる。
ひとり力!
誰かを求めること。これが簡単じゃないのだが、頼られるのも以外に悪くない経験をお持ちでしょう?ならちょっと甘えてみればいい。
Yahoo!ニュース 動機は?繊細だった伊良部氏「だまされ 心のよりどころだった家族とも…」
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