ひとりの道標

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引退を考える 島田紳助の引き際

テレビの島田紳助引退関連ニュースは果てしなく増殖中。特に気に掛けるものでもないが、引退ってなんでしょうね。 ひとりの道標
引退(いんたい)は、官職や地位等から退いたり、スポーツ選手などが選手としての身分を離れたりする事である。 [W:引退]
今週の日曜日「行列のできる法律相談所」をたまたま観ており、それから48時間後に島田紳助氏の引退会見。何故引退?という理由が気になったが、いつの時代も芸能界はブラウン管の・・・地デジ化となった今では死語ですね。いつの時代も芸能界は液晶画面の中の出来事。 つまり住む世界が違うようだ。軒並み視聴率の低下に悩むテレビ業界にあっても、視聴者で彼の名前を知らない人の方が少ないのだろう。引退に至ったという理由も酒のツマミ程度のことであり、視聴者からみれば視聴者不在の会見だったように思う。 体力の限界。 引退といえばスポーツ選手。僕らの世代で印象的だったのは、横綱千代の富士の引退ではなかろうか。ボロボロの身体になるまで精進し、それでも新しい世代の台頭に束の間の壁となり、やがて限界を迎える。頂点を極めた人だけが用いることが出来る言葉が引退であり、もうその現場に戻ることはできない。 多くの場合、引退とは惜しまれるものである。スポーツ選手も政治家も、鉄道の車両に到るまで引退という言葉は使われる。引退を惜しむのはその活躍を知る人々であって、栄光の軌跡があるからこそ寂しさも倍増する。そして引退には、その道で生きることを諦めるという意味もある。 島田紳助氏の引退は、後者ではないかと思っている。その理由については各局絶賛放映中なのだが、なにやらアングラな世界が見え隠れ。当ブログではそれ以上のツッコミは入れないが(入れられるはずもないのだ)、僕には彼の計算ずくの人生!と語ったテレビ番組が忘れられない。 漫才を辞めたことも、テレビで司会をはじめたことも、全てが計算。シュミレーションをして、自分の未来像を描いていたという内容だったと思う。それを達成していることは素直に凄いと感じたし、嗅覚を持ち合わせた人だったのだろう。 そういう記憶があるものだから、この引退も計算なのではないか?と思ってしまったのが正直な感想。引退とはサラリーマンでいうところの定年退職である。引退には第2の人生もつきもので、静かに暮らすか騒がしいものになるかは、まさに引退までの生き方そのものが影響する。 ツービート!! 漫才ブームが起こった少年時代、どのコンビが好きかと女子に聞かれてそう答えた。私は紳竜と答えたあなたは、僕のタイプじゃなかったのです。まぁお互い様です(笑)。 おしまい!