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純と愛 まさかの展開!テレビ番組と時間のミスマッチに負けないものはあるか?

良いことなんて少ないのが人生ですか? 純と愛を観ているとまさにその通りの展開で、来週は主人公の愛がまさかの事態・・・なんですかね。しかし、不幸がこうも重なると観ている方も憂鬱になる。純と愛連続テレビ小説として、朝の時間帯の放送が分相応だったのだろうか? [caption width="468" align="aligncenter"]時間とドラマ 時間とドラマ[/caption] 多くの苦しみや失敗の先に、もしかすると成功が待っている。絶対じゃないからそれを夢と言ったりね。人は常に成功と失敗のどちらも受け入れる準備が必要だ。だけど、器用じゃないから困る。成功とはなんだ?なんて考えてしまうから。失敗したらこれからどうすればいい?って考えてしまうから。 でもね、朝からこんなことを考えたくないわけさ。 朝って出来るなら爽やかでありたい。元気でありたい。前向きでありたい時間帯。BSで土曜日にまとめて観るからいいですけどね、毎朝観ていたら結構きついと思うんですね。そこらにある不幸じゃなくて、個人では最大の悲しい時とも言える、肉親の死、肉親の衰え、夢への絶望。それに愛する人の死が追加されようとしているの!? 実は、作り物のお話に負けないのがニュース番組。親が子供を殺めるとかね、その逆もそうだけどニュースってリアルな世界の怖い話を、なんのためらいもなく放送するんだよね。小さな子供が一緒にいようがお構いなし。そのくせ、いろいろな話題を提供するわけ。子供の好きな話題で実に嫌らしい。 今で言うところのミスマッチ。そう、テレビ番組と時間の関係はミスマッチ。そして、視聴者の求める番組とのミスマッチ。これは生涯解消しないミスマッチ。だって、番組を作るのは視聴者じゃないから。 誰かに分相応とかミスマッチと言われると、ちょっと気分が悪くなります。自分で分相応と言う時には謙遜している最中で、ミスマッチという時には自己擁護の最中。だから、 テレビ番組に分相応な時間は必要である。 と言われたら、気分悪いんでしょうね。いや、純と愛は好きな番組なんだけど、やっぱり朝じゃないでしょ。今でもないけど(笑)。多分、僕もそうだけど色々なものを楽しむ方法を、難しく考えているのかもしれません。理屈っぽくなっているのが分かるんです。だから、何かと理由をつけるし、そうさせないスピード感が遊川和彦作品の見どころなんですけどね。 それと、プロセスがキツイ番組が多いから、エンディングで少々のことがあってもビクトもしない。 こちらもどうぞ!遊川和彦作品に学ぶ不幸学家政婦のミタは本当は面白かったのか?