ひとりの道標

結婚できないひとり専門家、ひとり力を高めよう

長渕剛風ならボケた父ちゃん 今言うべきはオーバーな愛してる、将来の言葉より思いを込めろ

愛してる。 女性は言葉にして欲しいなんて聞きますが、長らく連れ添った夫婦に言葉は必要なのでしょうか。「お前百までわしゃ九十九まで」という言葉がありますが、健康であってこその言葉。いや、待て!老いてしまったことを、気付けない人になるかもしれないのだ。 [caption width="468" align="aligncenter"]高麗橋に咲いた桜 高麗橋に咲いた桜[/caption] 夫婦を金婚式が近くなるまでやっていると、色々なことがあったのだと思います。私などは孫の顔さえ見せる様子もなく、それ以前にその可能性もない独り身なのです。親としては、孫を抱くなんてことは当然思い描いた未来だったはずなのです。一般的な親不孝論ではなく、確実にあなたに捧げた親不孝を今こうして受け止めています。 さて、本日のお話は私のことではありません。長らく連れ添った夫婦が、言葉の暴力に呆れることもなく淡々と生きる様。夫婦とはとか、ともに生きるなんて言葉以上のものを感じたお話。 同郷の長渕剛。MOTHERに感動したけどさ・・・。 桑田佳祐というアーティストがいます。世代を超えて多くの人に愛されています。長渕剛というアーティストがいます。彼を好きという人と嫌いという人は非常にハッキリしています。共に1956年生まれ。最近の歌や行動だけ聞くと、方向性の全く違うアーティストに見えますが、目指すものというべきか、長く音楽で飯を食べている事実は素晴らしいのです。 同郷の好ということもあり、少年時代から長渕剛の音楽を聞いていました。彼の母親が亡くなった時にはMOTHER、父親が亡くなった時には鶴になった父ちゃん。彼の親が亡くなった時に共に名曲が誕生しました。そして、MOTHERにある呆けたかあちゃんというフレーズが、この年で理解できたのです。 長らく連れ添ったパートナーに、愛してるを期待する? 私の父ちゃんはボケています。はじめは気付かなかったけど、日にちを理解できないとか、同じ話ばかりするとか、昔の話は覚えているのに、薬を飲んだかどうか、食事をしたかどうか、そこ5分位内の記憶がありません。そのうち、私の存在さえも無くなるのかと寂しくなりますが、ボケた人間を目の当たりにするのはとても怖いことです。 今頑張っても、明日頑張っても、ボケたら覚えていないという事実を突きつけられるから。あの人を精一杯愛しても、ボケたらそれも忘れてしまいます。しかし、それでも頑張らなければならない現実は大いなる矛盾なのです。 それでも今が非常に大事だからこそ、頑張っているのです。母ちゃんがこんな話をしてくれました。 「お父さんからこう言われたの。俺は最近お前を刺したくなるんだ。」 金婚式も近い我が両親。長らく一緒に生きてきて、終いには刺すぞってさ。いくらボケているからといって、父親に対して無慈悲な気分になりました。覚えていないんだってわかっていても、それにどんな意味があるか知りたくもない。 共に生きるなんて、奇跡中の奇跡なんだね。本当はさ。 遠い未来の言葉を期待している人などいない。今言って欲しいから、甘えるし駄々をこねるし分かった振りをするし、何も言わなかったりする。でもね、遠い未来に絶対ボケない保証はないのです。だからこそ、愛する人がいるのなら、今言うべきです。将来、傷つけてしまうかもしれない以上に、オーバーに叫んでください。 そんな父ちゃんを母ちゃんは仕方ないと思っています。凄いよね。共に生きるってことは苦労の連続だ。流しているようにみえるけど、流せる人間なんていない。母ちゃんがぼけちゃうなら、怖くないかもしれない。