ひとりの道標

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訃報 柳ジョージ 今宵はオールド・グランダッドで献杯

柳ジョージ氏が12日に死去していたことが伝えられた。音楽に触れはじめる次期はそれぞれだと思いますが、青春時代にこういう音楽もあるのだと衝撃を受けた事を今も覚えている。奇しくもスティーブ・ジョブズ音楽配信を提案し、CD不毛が叫ばれる今彼は本物だったのだ。 ひとりの道標 彼の死がこうにも寂しいのは、自身の年齢とも関係があると思っている。確かな記憶にあるものの死とは、ある種の親近感となって襲い来る。時代を共有するというSNSがあるとしたら、それが確実に影響しているのだ。精神的な大人を迎えた者の共有した大切なもの。 それはモノマネというエンターテイメントで感じる、僅かばかりの違和感と関係しているのだ。モノマネで今旬を迎えた青木隆治徳永英明やLUNACYなどのモノマネは絶品で、多分美空ひばりのモノマネは最も絶品なのであろう。しかし・・・なのだ。 テレビの演出がとても醜いのだ。若い観客が美空ひばりを知るはずもない。なのに青木隆治美空ひばりを絶賛している若者が映し出される。私ですらその偉大さや音楽に触れたことが無いのに、時間の共有がない世代がうなるはずがないのである。 上辺だけの共有。 モノマネで感じる違和感は、より本当の時間の共有をした経験値にはかなわない証明。書いている本人にも判りにくい話になっているのだが、時代を共有したものの死がより身近であること、同世代の死とは違う特有の感覚。これは年齢幅が小さくなるほどに、深い悲しみとなるのだと思う。 柳ジョージとの出会い。 無類の甲斐バンドファンだった私は、彼らの解散がこんなにも早く訪れたことに苦悩した。その中で甲斐よしひろの歌う「青い瞳のステラ, 1962年夏・・・」に心動いた。甲斐バンドファンの先輩から差し出されたアルバム、「WOMAN and I ・・・OLD FASHIONED LOVE SONGS」が思い出の一枚。 その当時の音楽嗜好は、甲斐バンドでありアイドルでありと何でも来い!だったのだが、柳ジョージ&レイニーウッドだけはソウルだった。しゃがれた声が歌詞通りであり、たかだか二十歳そこそこのガキには、その心地よさが新鮮だった。 こんなのはじめて! だったのだ。カラオケで歌うと当時のおじさん世代に反応があり、何やら渋いアーティストを知ったものだと微笑んだ。いつまでたっても子供のままなのだが、勝手に人生の階段を踏み外した私には、勝手にアウトローと共感できる何かが欲しかったのだ。 柳ジョージ氏の冥福をお祈り申し上げます。今宵はオールド・グランダッドで献杯ヤフーニュース:柳ジョージさん急死…持病の糖尿病悪化