ひとりの道標

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ばっちゃんのつぶやき 矢口真里の離婚の果たした役割とは?

矢口真里の離婚騒動は、男とか女なんて所詮人間なんての世界であることを実感させた。身長差が50cmもあればそれはリアル「チッチとサリー」であり、ほんと見た目は漫画のようなカップルだったのだ。 ベッドに誘う

ばっちゃんのつぶやきは恥じらい消滅の予言

「こういうものまでテレビで宣伝する時代になったんだね。」 今はなきばっちゃんの言葉は嘆きだったのか、それとも言葉通りの驚きだったのか。女性用生理用品のCMをテレビで頻繁に見かけるようになって、ばっちゃんがふとこぼした言葉である。その言葉の意味は彼女の羞恥心の現れだったのだろうと思っているが、育った時代背景は尽く世代で変わるから素直なのだ。 矢口真里の離婚の報道で時代が動いたと思ったね。ばっちゃんのつぶやきは、飯を食うためなら恥ずかしさも堂々と売る。いや、なんでそれが恥ずかしいの?という風潮の変化だったのだ。もっといえば、恥じらいの消滅である。

離婚の理由はまさに男まさり!不倫で泣くのは女だけじゃない!

矢口真里の離婚で興味深いことは、彼女自身の浮気が原因ではないか?と言われているところだ。勿論、彼女自身の離婚に興味の大半があるわけではなく、これまで離婚理由として女性の論理だった不倫が男性のそれになったことだ。つまり、女も遊ぶということをおおっぴらにしてしまったという歴史的な離婚なのだ。 そしてその象徴こそがチッチとサリー。体力的には男性が圧倒するように見える。背の高い男性はモテるように見える。必死にしがみついている女性にも見える。背の低い女性は背の高い男性が好き!?一見そう見えることは事実ではなく、自分のなかの捻くれたフィルター。いやらしい自分の心なのだ。 当然ながらこれは私のフィルター。ただ人間の本質は見た目から得るものが非常に多い事も事実で、身長差カップルをチッチとサリーとしか想像でいない自分の限界。本当の人間模様は夫婦なり恋人なり家族の秘密なのであろう。秘密の共有こそ大事な人の証といえ、ただそれが不貞行為だった場合、どれだけ我慢するか、しないかということは、インパクトに比例するのだろうな。 パートナーが自宅で知らない異性と・・・。 なかなかスリリングな設定ではあるが、男も女も考えることにそう違いはない。むしろ、自分を全てさらけ出せない相手がパートナーであるべきか?は永遠に解決しない問題なのだろう。