ひとりの道標

結婚できないひとり専門家、ひとり力を高めよう

記憶に残る先生の愛は体罰だった

記憶に残る先生の愛。 1.「何でサボるんだ?」 歯を食いしばれ!平手で頬をパシッとな。 2.「クチャクチャ何食ってる?」 市中引き回しの上投げ飛ばす。 3.「受験まで後何日だ?」 学年全員ダッシュする。 大阪の高校で教師の体罰が問題になっています。今から20年以上前の古い記憶ですが、中学・高校時代に体罰という言葉は余り浸透していませんでした。それでも記憶に残る先生の愛は、今でもハッキリと覚えています。 記憶に残る先生の愛・解説 1.「何でサボるんだ?」 僕らのクラスは合唱コンクールに出場することになりました。貴重な昼休みどうしても男子は外で遊びたいんです。コンクールの練習より遊びを選びました。しかし、女子はそれを許してくれませんでした。 そう、先生に告げ口(相談)したんですね。男子は放課後整列させられ、先生に問い詰められました。 「何でサボるんだ?」 ひとりずつ、大きな手でビンタされました。男子は反省しその後コンクールに向けて練習を重ねました。結果として市で金賞を受賞しましたが、大きな事を成し遂げた記憶は残ったものの、消えてしまうであろう楽しい昼休みの普通の記憶は、それ自体ありませんでした。 大きな目標と小さな日常。記憶に残らない日常も大切なんだよね。 2.「クチャクチャ何食ってる?」 やんちゃな子っているんですよね。私の中学時代は不良ブームの時代であり、金八先生の流行った時代。ある日、突然先生が怒り出しました。それは技術・家庭の授業中だったのですが、ある男子生徒をギッと睨んでいました。 「クチャクチャ何食ってる?」 その生徒はあろうことか授業中にガムを噛んでいたんですね。その先生は怖いことで有名でしたので、クラス全員が静まり返りました。答えられないその生徒に、先生の手が襲いかかります。 胸ぐらを捕まれ、突き飛ばされ、机は反動で音を立てて・・・。まさに市中引き回しの表現が最適。そして、こんな言葉でその場を纏めました。 「受験科目じゃないといっても馬鹿にするな。」 先生自身のジレンマがあったのかな? 3.「受験まで後何日だ?」 高校受験まで残り少ないある日、学年集会がありました。学年主任だったその先生はこう問いかけます。 「受験まで後何日だ?」 そんな言われてもね。急に答えられません。学習塾ならカウントダウン的な意識付けもあるのでしょうけど。たるんでいると判断したのでしょう。 「全体責任だ。全員校庭ダッシュ5回。」 ダッシュすることに意味があるのか判りませんでしたが、走らなければなりません。 世の中理不尽なことがある。たかだか中学生で理不尽を理解するのは難しいよ。 これが僕の記憶に残る先生の愛だ。 紹介した先生の愛には、それぞれ理由がありました。当時は体罰という概念も余りなく先生の指示は絶対です。勿論、これが体罰なのかさえ判りませんが、行き過ぎた行為もあったと思っています。それでも不思議ですね。こういうシーンって何歳になってもハッキリ覚えているのですから。 どうだろう・・・?当時の先生の半分は、現在なら体罰と言われた行為を行なっていたのではないだろうか?それでも重要なことは、子供が死を想像しなかったことだ。 先生と生徒に信頼関係があれば(もしかすると強烈な師事関係)、当時はこういう行為も体罰とは言われませんでした。子供の人権という定義は、1985年以降広がったと思いますが、人を育てるということは大変難しいし、当時からどの高校に進学させたか?というようなことが、先生の広くは学校の評価になっていたのかな?なんて思います。 私も自信がないのよ・・・。 BSフジで北の国からの再放送が始まっています。凉子先生のこんなセリフがあったと思いますが、先生も大変です。しかし、子供が最終的に犠牲になることは悲しい現実。学校が有名になる手段としての部活ならば、教育から大きな逸脱もあるのかな? それが許されない世の中になっているのに、学校経営とか学校の評判ばかりが優先される。子供に死を想像させる教育や先生なら、学校や先生という大人の価値はない。 そして必ず誰か大人が気づいていたはずなのに、口をつぐんだ大人も同じなのです。