ひとりの道標

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訃報が続く ザ・ピーナッツの見事な芸能界との縁切りと友人との未来

ザ・ピーナッツ伊藤エミさんに続き小野ヤスシさんの訃報。親しみのあった芸能人が他界するにつれ、年を取ったなと感じるのです。 ひとりの道標 子供の頃、人間の死というものを実感したのは、親類の死ではなく友人の死でした。大人になり、テレビなどでお馴染みだった芸能人の死を知ると、心の奥底で親の死を感じてしまう。70歳を超えた両親にどこかフォーカスされた妙な感覚は、突然というよりジワジワ迫る、来るべき恐怖として若い頃にはない感覚なのです ザ・ピーナッツ伊藤エミさんと小野ヤスシさんの訃報。小野ヤスシさんといえば、スターどっきりマル秘報告のキャップでお馴染みであり、ザ・ドリフターズの初期メンバーであることは後からの知識。テレビで観たあの人の訃報は、青春時代の背景として記憶にある人。 ザ・ピーナッツの活躍は、残念ながらリアルタイムでは知らない。テレビの黎明期の主役の一人であり、思うに相当な人気だったと思う。沢田研二さんの奥さんとして認識はあったが、モスラに出た人のイメージしかない。 お二人は僅かの年齢の差なのですが、その活躍を知る人と知らない人では、全くの印象が違います。芸能界から完全引退したザ・ピーナッツの印象は、山口百恵さんの活躍を知らない世代の印象と同じ感覚でしょうか。それでも何となく知っているのは、音楽を耳にしたことがあるということ。 リアルタイムでザ・ピーナッツの活躍を知らなくても、恋のバカンスやコーヒールンバなどの名曲は、甲斐よしひろ井上陽水、懐かしいところで、荻野目洋子や田中美奈子がカヴァーしています。 音楽は時代を繋ぐものである。 カヴァーも悪くないのです。やたら恋だの愛だの、楽曲のタイトルになっている昭和の名曲こそ、ストレートで心地良いこの頃。そして、見事に芸能界を引退したザ・ピーナッツを思うと、また違う思いが湧いてくるのです。 繋がりを完全に断ち切ると、思い出が繋がらない。 ザ・ピーナッツの過去の映像を観ることがあります。ただ、そこから思い出が膨らまないのです。小野ヤスシさんの映像を観ると、出演したテレビ番組とかラジオから流れる声とか、そしてその当時の自分の思い出とリンクするのです。 縁が切れるということは、ちょっと考えると怖いこと。会社を辞めると、それまでの友人と疎遠になりがち。それでも繋がる友人が本物なのか?それとも、そういうものだと納得すべきだろうか? 会社という枠組みが次第に体をなさなくなり、されど、そんなものに憧れなどなかった若い頃。会社で知り合った友人でも、古くからの友人でも、インターネットで知り合った友人でも同じ。 自ら気にしなければ疎遠になる。のかな。伊藤エミさんと小野ヤスシさんのご冥福をお祈りします。 ヤフーニュース:小野ヤスシさん死去…「11PM」など軽妙トークで人気