ひとりの道標

結婚できないひとり専門家、ひとり力を高めよう

いじめないでください。いじめるなら覚悟をもっていじめろ

いじめは今も昔も永遠だ。大津市立中学二年男子生徒の自殺で、いじめの実態と周辺の対応が事実ならば、余りにも悲しい事件だ。そしていじめで人生が狂うことに何の責任も追わない事実。 ひとりの道標 大津市立中学二年男子生徒の自殺で、いじめた側の人権が考慮されていた。そんな報道があるが、人権の元では人一人の命が何と軽いことか。自殺の練習・・・怒りよりも悲しみが湧いてくる。大河になりそうなほど湧いてくる。 教育評論家の尾木直樹さんが、このいじめを最悪の事件と評していた。いじめの最悪の結果は自殺だけではなく、その影響が永遠に続く人もいるということだ。いじめた人の多くはその事実を知らないで生き、家庭を持ち、子供を育て、幸せを手にする。 ねぇ、君。いじめたことを忘れちゃいないかい? 私には妹がいる。2つ違いの妹だが、どうにも人とのコミニュケーションが苦手。それが原因なのか分からないが、中学時代に酷いいじめにあっていた。 学校の掃除時間にゴミ捨てに行けば、ゴミ捨て場で殴る蹴るの暴行を受け、罵声を浴びそれでも健気に中学に通っていた。はやり目で2週間ほど学校を休んでから始まったのだが、彼女の社会的な人生はそこで終わってしまった。登校拒否になりそれ以後の人生は家だけでの生活。職場と家との平凡な生活さえも出来ない人生。 私は中学時代にそのことについて知らなかった。コミニュケーションが苦手な妹のことを、煩わしいとさえ思っていた。妹が登校拒否になったことを恥ずかしく思い、冷めた兄弟関係だった。ついつい大きな声を出すこともあり、いつでも私の心は落ち着かなかった。 一般的な家庭の幸せな風景という記憶は、少年時代に殆ど無い。当時はギスギスした家族だった。もっとも、この事を反省したのは母親にいじめの事実を聞かされてからだ。 「妹はいじめられていたんだよ。お腹を蹴られ頭を殴られ、それでも学校に行ってたんだけど、ついには泣いてもう学校に行かないって。」 何故、妹が登校拒否になったのか、大人になった私は母親に尋ねたんだ。いじめの事実を知らずに妹に嫌悪感を抱いていた私は、拳を強く強く握り悔しさが滲んできた。自分自身の不甲斐なさ、中学時代に妹を守れなかった兄としての責任。何も知らずに妹にはいた言葉に、どれだけ傷ついたのだろう。 この話を聞いた衝撃は一生忘れれれない。もしドラえもんがいてタイムマシンがあったなら・・・。その場に行って思い切りぶん殴ってやるよ。そんな事が出来ないからこそ、その場での解決が必要ないじめ。でも、リアルテイムでは周りの人も、先生も動かない。だから問題は大きくなり、絆なんて言葉が空々しいんだよね。 母親もその解決に翻弄したそうだが、学校の先生というものに過剰なまでの期待は禁物だ。金八先生なんてなかなかいない。いい先生との出会いがいじめの解決だとしたら、それは宝くじにも似た夢の確立。 妹の担任は、卒業式の時に自宅まで卒業証書を持ってきてこう言ったんだ。 「卒業おめでとう。よくがんばったね。」 その言葉に怒りで涙が出た。一体あなたは何を妹に教えたのだろう?出席日数が全然足りないのに、特別の配慮で卒業させ、問題を闇に消したんだ。学年主任で受験に熱心だったのだが、人を育てることは出来ない先生。いや、教育の仕組みの問題なのかもしれないが、今も昔もいじめの問題はスルーされるんだよね。 ねぇ、君。妹の人生を奪ってくれてありがとう。 過去にいじめた側だった人。今の幸せはいじめの上に成り立っていることを、深く、深く心に刻むことだ。妹は誰がいじめたか覚えている。でもそれを言わない。言わないんだよ。 妹は弱い人間って一般的には言われるかもしれない。でも、確かに弱い人ががいることを私は学んだ。 人一人の人生を狂わせるのだから、いじめるときは覚悟を持ってと、学校で教えてくれないかな。恐らく人類の有史以来、いじめの存在はある。そしてなくなることもない。いじめ撲滅なんて多分ムリなのだから、いじめ教育をするべきだと強く願っている。