ひとりの道標

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遊川和彦作品に学ぶ不幸学||家政婦のミタは本当は面白かったのか?

ひとりぼっちのクリスマス・イブも過ぎ、ひとりが不幸などとは思わない。そもそも不幸とは何なのか?家政婦のミタ純と愛の脚本家である遊川和彦氏の作品から、少しヒントを得ることが出来るのです。 家政婦のミタ遊川和彦氏の代表作となり、勢いそのままに連続テレビ小説純と愛」もなかなかの視聴率らしい。ドラマのトレンドは視聴率では計れない時代と言いつつも、まだ大きなインパクトを持つのも事実。 遊川和彦作品のトレンドといえば、ひとつに不幸な状態にあるというキーワードが浮かびます。家政婦のミタ然り、純と愛然り。何故かしら視聴者が不幸の共有をする状態になり、それは遊川ドラマと冠を付けていい。 [caption width="468" align="aligncenter"]あしたのジョー風夕焼け あしたのジョー風夕焼け[/caption] クリスマス・イブにひとりである。仕事がない。彼氏、彼女ができない。家族と上手くいかない。この状態が不幸なのか正直わからないのですが、もし、自分の置かれている現状を不幸である考えると、それは考えられる範囲での出来事。物事には順序があるという流れに沿った不幸。 何故リストラされるのだろう?と考えれば、会社の経営状態に起因することが多いのです。企業業績の悪化でリストラされるかもという恐怖心が生まれ、それが現実になれば不幸、あるいは不運と感じる。遊川和彦作品にみる不幸は、いわば想定内の不幸。これは激しく共感する不幸なのです。 もっとも怖い不幸は突発的なもの。突然の◯◯。◯◯に当てはまることは多いのですが、こういう状態になると、不幸というより何が起こったの?という感覚になり、不幸であるという感覚は少ないのです。放心状態になることが多いということが正解かもしれません。 遊川和彦作品の多くの不幸が、いえ、正確には知らない作品もありますから印象ということになりますが、流れのある不幸であり強烈に引き込まれるのだと思っています。その不幸を実際には知らなくても、どうなるのだろう?という好奇心。想像できる不幸と置き換えれば、もっとも理解しやすい。 想像できる不幸ならば、どうすればいいのだろう?と悩むことも出来ます。また、そうならないために、自分の未来を想像する力を持つことが出来る。このふたつの想像こそ、遊川和彦作品の隠れたテーマであると感じるのです。 私自身も、他人と比べると不幸だと思うことがあります。これは他人と比べるからこそ生まれるもので、その解決は自分で行う以外にありません。その過程で人とどう繋がるか、自分ひとりの限界を知った時、いろいろ有難いことが起きるのですから。 想像できる不幸は、なんとかなるさ。