ひとりの道標

結婚できないひとり専門家、ひとり力を高めよう

狭き門をくぐり抜けろ!女子柔道代表選手は誰が選んだか?

2013年もはや2月中旬。梅の花は散り始め少し長い風邪から回復すると、相変わらず体罰が話題の何とも寒いスポーツ界。女子柔道だけじゃないだろってね。私は大相撲に詳しいんだという人も、八百長だけは知らず・・・。私は女子柔道の事情通という人も暴力沙汰は知らず・・・。スポーツジャーナリストと呼ばれる人も、後に追従する情けなさ。 [caption width="468" align="aligncenter"]敗者には何もくれてやるな 敗者には何もくれてやるな[/caption] 事の発端は大阪市立桜宮高校バスケ部の問題。部活レベルの事とはいえ、スポーツ有力校の有力部ともなれば素人さんお断り。まさに勝つための部活動であり、生徒や教師、果ては学校の将来までも左右するというから侮れない部活。部活に体罰は必要か?といった論争まで起こり、体罰反対派として桑田真澄氏の言葉が、実は本質のような気がするのです。 東京大学野球部を指導した時でしたか、 「野球の楽しさを知るために、ひとつでも多く勝ってほしい。」 という旨の発言がありました。スポーツの楽しさを知るためには勝つことも必要とはごもっとも。つまり、勝つという目的のために、かたや体罰ありきであり、かたや楽しくやりましょうなのです。相反するように感じますが、スポーツにおける楽しさという本質が、プレイヤーと観戦者では全く違うのですから。 狭き門。 学問でもスポーツでも、日本では狭き門という厳しさがあります。ある種のエリート感の演出にもなりますが、少子化が叫ばれる日本で何時まで狭き門は存在するのか。地方の学校では、定員割れが現実の問題で学校の統廃合が加速。地方では狭き門が無くなっているのです。 告発した女子柔道選手も狭き門から選ばれた人々。しかし待て!少々違和感のある選手たちなのだ。柔道でも選手選考においてポイント制という基準は出来たものの、それが絶対ではない現実を忘れてはならない。 暴力を振るう、またはそれを隠蔽する指導者が選んだ代表選手なのだ。 告発した選手に非はないと思いますが、一緒に将来を目指せないと告発された指導者が選んだ選手たち。代表の辞退と告発はセットであるべきだったかもしれない。あるいは代表選手選考からやり直すべきではなかったのか? 誰に選ばれた選手であるか?ということは、もっと大きな問題になっていい。問題のある指導者が選んだ選手ならば、自ずと選手選考をやり直すべきであるとは、極自然の感覚だと思うのですが・・・。 暴力振るっても、選手を選ぶ目は確か・・・な指導者だったのでしょうか?告発により自己否定したことを、もっと真摯に考えるべき。