ひとりの道標

結婚できないひとり専門家、ひとり力を高めよう

本当にひとり旅?スマホなしの人生は無理という感覚こそ増加の理由

ひとり旅の勢いが止まらない。じゃらん宿泊旅行調査2013で、2012年(2012年4月から2013年3月)に誰と旅したかというプライベートな問いに、勿論ひとりと答えた人が14.5%に達しました。 ひとり旅 シグナル

ひとりものが増えているから夏・・・2013

参議院選挙でもっと争点になってよかった少子化問題。これだけ話題に上らないのも不思議なものですが、逆に増え続けているのが未婚者です。勿論、結婚しなくても子供を産むことは可能です。とかね、非常に広がりのある議論が成り立つと思うのです。 因みに、2010年の国勢調査では未婚率は次のようになっています。
男性 女性
25~29歳 71.1% 59.9%
30~34歳 46.5% 33.3%
35~39歳 34.6% 22.4%
40~44歳 27.9% 16.6%
45~49歳 21.5% 11.7%

2012年度まででひとり旅は若い男性で増加

20から34歳までの若い男性のひとり旅のデータは、2004年(14.9%)から2012年度(23.2%)へ増加。未婚率のデータをみても次の年代へ多くの割合でシフトしている現実がありますから、ひとり旅も世代でシフトして増えているのでしょうか。 当然ながら既婚者でもひとり旅は可能です。しかし、ひとり旅をする理由も少ないと思いますから、その多くは独身者と考えていいですよね? 相対的に未婚者が多い、自分の好きなように旅したい、SNSなど日常的に活用する世代においては、寂しいという非論理的な感情がスマートフォンにより払拭され、ひとり旅という概念さえも当てはまらないのかもしれない。 こんな話がある。遠く離れた女性とケータイサイトで知り合った。メールを頻繁に交わす間柄になり、電話で彼女の相談相手になったその男性。ある日、こんなメールが届いたそうだ。 「もう私達別れよう・・・。」 彼女はその男性を彼氏と思っていたそうだ。ケータイでメールや電話をするだけなのに?と男性は全く理解できないのだが、そもそも彼氏・彼女の定義などないわけだから、そう思えるかどうかという感性の問題なのだろう。 SNSの友人がいて旅の最中に会話がなりたつのなら、それはもうひとり旅と呼ぶには相応しくない。 と思う世代が既にいるのだと思うのです。これは私達おじさんには理解できないことかもしれませんが、そうでなければ、スマートフォンなしに生活できないという感覚にはついて行けないのです。 男性も女性もひとり旅が増えているわけですから、あながち同じ目的があるといっても過言ではないのです。もしかして、良い人と知り合える!?ってね。 詳しいレポートはじゃらん宿泊旅行調査2013 【PR】ひとり旅歓迎の宿:じゃらん

馬鹿は死ななきゃ治らない 参議院選挙2013 個人的総括

参議院選挙が終わりました。最終的な投票率は52.61%で戦後3番目の低さだといいます。インターネット選挙運動解禁の選挙となりましたが、ごめんね~全く参考にしませんでした。

インターネット選挙運動からみえる、馬鹿は死ななきゃ治らない

参議院選挙に日は満月 投票率が52%であっても、政治に関心がある人はもっと多いはず。選挙の争点などと良く表現されますが、これを自分自身で考えない限り投票率も上がらないでしょう。しかし、国や地方の政治が全く同じような価値観しか提供しません。つまり、国と地方でやることが同じように映るんです。 結局、候補者が売り出す商品(政策)に有権者の求める商品(政策)がない。求める商品がなければ買いに行くこともありません。もっと追求すべきは、求める商品がないということなのか、求める商品を考えてもいないということなのか。 今回の参議院選でいえば48%の人が投票しなかった。ねじれ国会より酷いのが、政治家と有権者の政策のねじれ。いい例が脱原発だと思うのですが、メディアの伝える所によれば脱原発派が非常に多いのだが、選挙結果は脱原発を謳った政党は壊滅的に落選した。 しかも、衆議院選挙に続く敗北だ。

選挙後のテレビメディアの公平性

選挙後に各テレビ局で議員を集めての討論会。ここにメディアのマジックが存在する。選挙前は各政党を公平に扱わなければならないが、選挙後も公平なんです。どういうことかというと、各政党1人ずつ発言者がいるのです。与党と野党を比べれば、当然野党が多いのです。 これでは、選挙後の公平性が全くないのです。つまり、脱原発が民意かのように多数に見えてしまう。当然、脱原発については色々な考え方がある。正解を見出すのが非常に難しいわけであり、だからこそ本物の選挙の争点になっていたならば、もっと選挙は盛り上がったはずなのだ。

興味がなければたどり着かない。それがインターネットの世界

インターネット選挙運動の解禁。私などは地方の景気浮揚にもっとも興味があるので、今回は求める商品がありませんでした。となると醜いもので、わざわざ探してまで候補者の情報を求めようとしないのです。個人的には全くネット選挙とは無縁でしたが、これこそが馬鹿は死ななきゃ治らない。 興味を持たなければ、絶対にその情報を求めようとしないのです。それがインターネットの世界であり、合わせて言うならばその情報と出会うことさえないのです。但し大きな問題なのは、これまでの政治が裏切りの連続だったということでしょう。そして有権者の政治参加意識の低さね。卵が先か鶏が先かではありませんが、ここはやはり政治家が先に色々あるべきなんでしょうね。

各党キャッチフレーズが選挙結果を予言していた!?

政党のキャッチフレーズから選挙を探っているのですが(お遊びですよ)、今回は自民党以外の政党が、面白いように言いたいことがない感じに思えました。短いキャッチフレーズなのですが、有権者の無意識に影響を与えるのでしょうか。 参議院選挙2013のキャッチフレーズ私を選挙に連れてって インターネット解禁だってさ

いわゆるひとつのPostscript

改憲の話題にばかりにメディアが走るのを、冷ややかな目でみています。僕らの世代が一番タブーが多かったのかな。そのひとつが憲法で学校でまともに教えてもらえなかった。人間のマニュアル化は完璧で、教えてもらわなかった事には興味を持たないんだね。 スタジオ・ジブリ宮崎駿監督が、憲法改正に反対を表明。これじっくり読みたいと思っていますが、風立ちぬに終戦のエンペラー、そして永遠の0と続く戦争がテーマの映画たち。 多分、そろそろ忘れかけているからだと思うんだ。
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すまん!明治維新は失敗だったと鹿児島から声を上げる

明治維新の中心に薩摩がいたことは事実である。しかし、今この時、明治維新は成功だったのかと答えを求めるなら、果たしてこれがあの先人たちの求めた日本の姿なのだろうか?だからこそ、鹿児島からすまんなのだ。 幕末風 西田橋御門

明治維新は改革だったと思うほうがシックリする

このところ大河ドラマは幕末ものが続いている。篤姫龍馬伝、八重の桜。日本の危機的状況を把握していたのは御侍さんで、今も昔も情報の価値は変わらずそれを活かすも殺すもそれを得た者の特権。少なからず情報が御侍さんだけのものでなかったことが、明治維新の起爆剤になったのだと思う。 この大河ドラマはいずれも個性的な主人公を描いている。でも、僅かに150年ほど昔のことさえ絶対ではない。日本のためなどと思った改革者が、実はどれほどだったのだろう。結果として日本が国として存続している。時代とは時の雰囲気であるのだから、なるほど流れを感じる能力はピカイチだったのだろう。

明治維新の総括が必要なのか?

鹿児島県知事の上海路線存続についての施策が、全国規模で批判された。路線維持のために県職員を上海に派遣。税金が恐らく何の効果も発揮しないまま消えていく。この方の悪い所は口の軽さなのだと思うのだが、鹿児島県は何でも役人が介入しないと気が済まない。 だまっちょらんか! 静かにしていろ!即ち、口をだすなという鹿児島弁だ。僕は思ったね。これはいくらなんでもリコール運動に発展するだろうと。しかし、リコール運動は起きない。だからといって僕が先頭に立つのは面倒だ。明治維新は先頭に立つ人はいたのだが、それで飯が食えたという大きな違いがある。つまり、お仕事だったわけだ。 使命感をどう感じるかという問題。明治維新は、平たく言えば武士が役人になっただけの改革。話し合うことを戦国時代から随分してきた武士たちが、敢えて新しいものかのように話し合う仕組みを日本中に作った。無駄の始まりが小さな議会だと思うのだが、それは大きな議会と仕組みを同じにする無駄だ。 使命感に燃えるためには、ある程度飯が食える見込みが欲しいのだ。

憲法よりも民法が強い!?実は、変化が大嫌いな保守

憲法の改正より、民法が大きな改正をされない歴史のほうが長い。明治から続く民法が、非摘出子の判決で話題を集めたのは最近のことだ。現実の生活は憲法よりも民法に依存するのだから、それらが記された民法が時代にそぐわないと、大騒ぎしないのも不思議である。 何も変えない。 変化こそ面倒だ。根回しなんてね、日本人は大好きだから国際舞台でもこれを使おうとする。ロビー活動ではなく、根回しなんだよね。だから、根回しが全く足りないのが今でしょ?根回しに必要なもの、これこそ元気という言葉の裏にある、経済力。 昔のように元気に! ってね。鹿児島がいつ元気だったのかと、いつも首を傾けて痛くなる。

明治維新が成功したか検証が必要

明治維新は偉人を生んだ。しかし、彼らはそれが仕事だったのだから、頑張ったのも頷けるし当たり前だとも言える。今の時代、当時にはない価値観や権利がある。まさに文明のなせる幸せであり、だからこそ、こんな世の中になったのも明治維新のお陰様なのだ。 だが、お陰様とは皮肉であり、その結果として今の日本のあれこれがある。時代の雰囲気として明治維新は必要なものであったが、流れで市民レベルの反乱がないのも特徴的。多分、それが起きない素地のある日本は、世界でも珍しい国なのであろう。
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安藤美姫決意は見事!?母は子供を産むから母なのか、それとも育てるから母なのか?

スポーツ選手も大変です。子供を産んでしまったと告白すれば色々詮索される。安藤美姫の出産後報道は様々な問題を含んでおり、その矢面に立った彼女は何故告白をしたのでしょうか。

子供を産んだから母なのか?それとも育てたから母なのか?

小さい手が求めるその先は? 安藤美姫については、すっかり過去の人だと思っていた。引退したと思っていたところに、出産を告白する彼女を知り驚いた。日本のマスコミの能力の低さを笑うしかないのだが、子供が非嫡出子であることは日本の少子化対策の今後を占うのかもしれない。 いずれにせよ、安藤美姫は母になった。産みの親、育ての親なんてドラマの設定ではないが、産んだだけで母であるし、育ててこその母でもある。健康な赤ちゃんを授かったのであれば幸いだが、出生前診断が話題になるご時世。場合によっては80歳になっても子供を育てなければならない現実もある。 それについては別の機会に話してみたいと思うが、子供を産む決断をした安藤美姫は天晴。父親が誰であるか知った所でどうにもならない私達だが、何故知りたがるのかアンケートして貰いたいね、TBS殿。日本人の平時の根性は腐っているとまで言ってもいい。いや、幸せす過ぎるんだよ。勿論、僕もそうだけどね。

安藤美姫の出産報道にある問題

安藤美姫報道で最大の話題であり、関心事は非嫡出子でしょう?父親が誰かって思うのもそこからくる話だし、安藤美姫が自ら話を振ったのに、そりゃないぜ的なね。そもそも非嫡出子とは何ぜよ? 結婚が制度として存在しますが、人間もやることをすれば子供ができる。当然ながら、結婚していなくても性的な関係になることはあり子供もできる。年齢制限など法的な制限を除けば、性的な関係を規制することは出来ない。だから不倫も行われるし、事後責任ということで民法が初めて効力を発揮する。 民法779条に非摘出子の認知について謳ってあります。
民法第779条(認知) 嫡出でない子は、その父又は母がこれを認知することができる。
日本の少子化問題で、常にフランスが少子化から脱したという話を聞きます。そのフランスこそが非摘出子の権利を様々認めることで、少子化から脱した大きな一因となっています。 日本でもそれを訴える政党もありますが、日本の結婚制度を根底から覆すことになるので導入が難しい。安藤美姫のように知名度のある女性が非摘出子を産む。同世代に与えるインパクトもあるでしょう。日本がフランスのように割り切れるのか?また、だからといって非摘出子を認めないばかりに中絶してよいのか? 日本の中絶は、生まれる子供に等しいという裏の話があります。このような事が、日本では産むことが母であるという根拠のような気がします。育てることが母であるという雰囲気こそ、きっと大切なのだと思うのです。 少子化問題は来年の出生率が10になっても、最低20年は継続する問題。ゲスな話ですが子供がお金を稼ぐようになるまでって事ですから。ということは、日本の未来も大切だけど今が最も重要ってことでもあります。

追伸 日本のマスコミって

日本のマスコミは情報の提供により成り立っている。もっと皮肉を込めればタレコミにより成り立っている。これは社会問題や芸能といったジャンルを問わず感じることで、プロ野球の統一球問題、全日本柔道連盟の不祥事などで象徴される、黙っていれば未だに誰も知らないこと。 つまり、自称専門家ならまだしも僕はその業界に詳しいというジャーナリストがいる。スポーツ界でもふたりほど顔が浮かぶのですが、ヤバイことは伝えない姿勢が気に入らない。だって取材しているのだから知らないはずがない。知らないのならジャーナリストと名乗るべからず。
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私を選挙に連れてって参議院選挙2013 キャッチフレーズとインターネット解禁

第23回参議院議員通常選挙が始まりました。インターネット選挙がはじめて可能となり注目されていますが、最終的な投票はまだ出来ません。選挙運動のみということで、単なる選挙カーのインターネット版になることは勘弁して下さいね。 さて、先の衆議院選挙に続き各党のキャッチフレーズにみる本気度。 第23回参議院選挙

■ 政党別 基本的な品詞の組み合わせ

各党のキャッチフレーズを調べましたが、一部解りにくい政党もあり全てあっているか不明です。しかし、そういう解りやすさも含めたインターネット選挙だと考えますのでご了承ください。また、新党大地は政党ウェブサイトや政策集にアクセスしづらい状態で(2013年7月4日午後4時過ぎ)、アクセスが集中する何かがあったのか?いずれにせよ、インターネット選挙解禁初日としてはやや寂しい門出ですね。 各党のキャッチフレーズを調べてみます。 自民党:日本を、取り戻す。(名詞+助詞+動詞) 公明党:安定は希望です(名詞+助詞+名詞+助動詞) 民主党:暮らしを守る力になる。(名詞+助詞+動詞+名詞+助詞+動詞) 日本維新の会:維新の挑戦。(名詞+助詞+名詞) みんなの党:戦う改革。(動詞+名詞) 生活の党:生活を守る!!(名詞+助詞+動詞) 共産党:「国民が主人公」の新しい政治を。(名詞+助詞+名詞+助詞+形容詞+名詞+助詞) 社民党:強い国よりやさしい社会(形容詞+名詞+助詞+形容詞+名詞) みどりの風:ふかせよう みどりの風の約束(動詞+助動詞+名詞+助詞+名詞+助詞+名詞) 新党大地新党大地の訴え(名詞+名詞+助詞+名詞) みどりの党:いのちをつむぐ緑のプロジェクト(名詞+助詞+動詞+名詞+助詞+名詞) 幸福実現党:挑戦しよう、日本。(名詞+助動詞+助動詞+名詞)

参議院選挙2013 キャッチフレーズの個人的見解

シンプルなキャッチフレーズは、心を掴みやすいものです。自民党は先の衆議院選挙と同じキャッチフレーズで挑みますが、リベラルな政策を打ち出す政党は言いたいことがたくさんあるのか、キャッチフレーズもややゴタゴタしています。

■ シンプル わかりやすいプラス効果のキャッチフレーズ

自民党日本維新の会みんなの党、生活の党、 みんなの党は助詞を用いないことから、ややぼんやりしたイメージ。自民党と生活の党がキャッチフレーズ上は同じなので、大分選挙戦略を勉強したのかもしれませんね。

■ マイナス効果のキャッチフレーズ

言いたいことが山ほどあるのよ、名詞や形容詞の多用でうざい。 民主党共産党社民党みどりの風みどりの党 動詞がなく何をしたいかわからない。 社民党 助動詞により印象が薄い、他人任せに感じる みどりの風幸福実現党

衆議院選挙から劇的に変わったキャッチフレーズ

民主党の場合。 「動かすのは、決断。」(動詞+名詞)から「暮らしを守る力になる。」(名詞+助詞+動詞+名詞+助詞+動詞)へ。 色々詰め込みましたね。衆議院大敗でキャッチフレーズ上も焦りが感じられる。 日本維新の会の場合。 「日本を賢く強くする」(名詞+形容詞+形容詞+動詞)から「維新の挑戦。」(名詞+助詞+名詞)へ。 非常にスッキリしたキャッチフレーズに。形容詞をなくしたことで強さが感じられなくなった。 社民党の場合。 「生活再建」(名詞+名詞)から「強い国よりやさしい社会」(形容詞+名詞+助詞+形容詞+名詞)へ。 あっさりからくどいキャッチフレーズへ。動詞がないので何をしたいかわかりにくい。 衆議院選挙の時は、日本維新の会が一番優れたキャッチコピーではないかと思いました。今度の参議院選挙のキャッチフレーズでは、目立って優れているなと思うとことはありません。それだけに、キャッチフレーズを変えなかった自民党が戦略的に上手なのかな。 以上、キャッチフレーズにみる参議院選挙でした。国語の先生ではないので、実にお遊び程度とご理解くださいませ。それ以上の企みはありません。いえ、何の企みもありません。

復活記念!サザンオールスターズと初めてのチョメチョメ

サザンオールスターズが5年ぶりに復活。色々な初めてをサザンオールスターズで達成した人も多いと思うのですが、5年も経つと結構忘れるんですよね。そう、「逢いたくなった時に君はここにいない」。 サーファーのたれパンダ

5年の月日は長すぎる!?サザンオールスターズ復活

5年ぶりに活動を再会するサザンオールスターズ。いいおじさん達ががどの世代まで影響力を持つのだろう?という素朴な疑問はきっととんでもない愚問なんだと思いながらも、5年の月日は彼らの存在そのものを忘れさせるのに丁度良い長さだった。彼らには35年のキャリアがあるのだから、ふとした瞬間やこれぞという瞬間にゾゾゾッとするぐらいマッチする音楽が揃っていたからだ。

サザンオールスターズと初めて物語

サザンオールスターズとしての活動が35周年になるとは実に簡単な言葉だが、それがとんでもない時間であることは・・・彼らのデビュー時に生まれた赤ちゃんが35歳になった!では表現できないと思うのだ。音楽の入れ物の歴史、つまりレコードからCDへ。CDから音楽配信へに興味深くリンクする。 ■ 初めて購入したCDがサザンオールスターズ。 1978年にデビューしたサザンオールスターズ。当時の音楽の入れ物はレコードの時代で、彼らの音楽もレコードだった。1982年にCDが販売開始といってもレコードのおまけのようであり、それはつまりCDプレイヤーが高額でありCDの需要自体少なかったからに違いない。この辺りの歴史は[W:サザンオールスターズディスコグラフィ]でご確認頂くとして、とにかく初めて買ったCDがサザンオールスターズである人は多いと思う。 ■ 初めてアーティストの私生活を垣間見た気がしたラジオの存在。 今でもラジオのパーソナリティとして活躍する桑田佳祐。その昔、オールナイトニッポンで今では大御所と言われるアーティストがパーソナリティを務めていた。桑田佳祐もその1人であり、なんとも普通のお兄さんでエッチな人という先入観は彼自身の責任である。それよりも何よりも、歌を職業とする人の私生活、特に私性活については想像の粋を出ない少年だったことから凄い人だと思ったものだ。 ■ 初めて歌のタイトルのホテルに巡りあう。 「パシフィックホテル」はサザンオールスターズの「HOTEL PACIFIC」で歌われている事で有名ですが、実際にパシフィックホテルを観たのは、田舎者が上京し湘南ボーイと友だちになったからに違いない。鹿児島の海を見て育ったからだろうか、東京ではなく国道134号線から西湘バイパスへのドライブが好きな田舎者だったのだ。(笑・・・とこじゃないけどね) ここがパシフィックホテルだぜ~凄いだろって、全然そのホテルの偉大さも知らないので、まじで!と答えておくのは田舎者の知恵だったのだろうか。 初めてのデートでサザンオールスターズのテープを編集したとか、あなたも初めてのサザンがきっとあったはず。

5年の月日でサザンの音楽配信もあるのだろうか?

レコードからCDへと上手にサザンオールスターズも入れ物を替えた。CDから音楽配信へと時代は流れているのですが、5年の月日はどう結論付けるのだろう。日本でCDが売れる数少ないアーティストであることも間違いない。そもそも、音楽を何で再生しようがサザンの良さは変わらないのであるが、音楽業界もまた農業と似た利権の綱引きがあるのだろう。 そろそろ、歌の作り手も声を揚げる時じゃあるまいか。 sas-fan.net: サザンオールスターズ

川越シェフ発言問題の本質 年収400万円はお金持ち!?

東京って怖いところだ。飲食店のサービス等がネットを揺るがす論争になる。田舎ではまず考えられないのだが、やはり論争の中心にあるのは人であり、人は人が大好きなのだ。 川越の風景

誰が何のために?食べログは田舎では必要ない、意味が無い現実

最近、飲食店サービスがネットを賑わせています。当然ながら東京の話題なのですが、インターネット特有とも言えますよね。だって、田舎じゃまずこんな話は盛り上がらない。川越シェフ発言問題は食べログの書き込みからのようですが、例えば食べログにこんなページが存在します。 食べログ:鹿児島市の居酒屋TOP100 鹿児島市の居酒屋を探す時に、食べログがいかなる情報をもたらしてくれるのか。場所の特定には便利であるが、クチコミが僅かに1件でもランクインするランキング情報に、一体何の価値があるのだろう?鹿児島という田舎町に限らず、東京の郊外の都市でも同じようなランキング。使える情報は非常に少ないと言えるのです。 付け加えるなら、ジャンルによって全く使えない。メジャーなキーワードと思えるラーメンでも、田舎では意味が無い。

さて、食べログの書き込みに果たしてこの反応は正しかったのか?

年収300万円、400万円の人が高級店に行って批判を書き込んでも、そういう人たちには高級店の企業努力や歴史がわからない。 ※川越シェフの発言とされる文脈の引用
発言を後に謝罪した川越シェフの失敗は、年収300万、400万円の人という主語を一般的なお客様とした点と、インターネットでは言葉は一人歩きするという2点の表現でしょう。何よりもそして誰の失言でも、はじめに口にしたことが正直なところであることを、誰もが知っているという意味では、余計な発言は火に油を注ぐだけ。 つまり、大した意味もない食べログの書き込みにいちいち反応する人。が滑稽なのだ。

問題の本質、年収400万円超はお金持ちなのか?

長い前置きになってしまいましたが、この問題の本質はこの川越シェフ発言問題ではないのです。いつからか日本のメディアは、お金持ちの基準をグンと引き下げたと言うことなのです。一つの例が、中国人観光客が炊飯器を買い漁るなんてありましたよね。精々数十万円のお買い物に、狂喜乱舞する観光地ってね。 バブル時代、日本のニュースは海外旅行でお土産100万円とかね、そりゃ景気のいい話が多かった。20年ほど前なら、中卒の工場努めで年収600万もザラだった。実に今では川越シェフの言う一般の人とは、年収400万円ほどとされるサラリーマンを指すのですから。 600万円超とされる国家公務員はもはやお金持ちに分類されるのだろうか?20年程前なら、工場努めを長らくしていれば達成できた年収なのだ。いかに日本がデフレだったか分かる現実なのです。それにしても日常のテレビニュースが、デフレをさり気なくカモフラージュしてきたことは、大きな罪であると思うのです。 本当のお金持ちなんて、滅多にお目にかかれない。日常のお金持ちは中国の普通の人であり、公務員と叫ばれる世の中。物が売れないからそうなったのだろうか?将来への不安からだろうか?若者が減り高齢者が増えているのに、若者向けのネット戦略ばかりか街まで若者向けの作りしかしない。 車はすっかり家族向けばかり。ひとり者がドンドン増えている現実なのにね。なんだかおかしいね。おかしな日本という結論。